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会社はどうして安全ルールを備えるの? 単純明快に詳しく説明

1.43 安全と事故

会社はどうして安全ルールを備えるの? 単純明快に詳しく説明

サラリーマンとして会社に勤めていると、否応なしに各企業や各事業所が有する決まりごとに沿う必要がありますね。

そんな決まり事を一般的な言葉に置き換えると『社則・就業規則』などと表現しますが、ここでは会社内に存在するあらゆるルールを『社則』と表現します。

社則は良い言い回しで簡単に言えば

『従業員全体に統一した意識を持たせることで、あらゆる業務の効率化を図る』

ですが、悪い方を用いれば

『一方的に会社にとって有利な条件』

でもあります。

社則の多くは自社の利益を追求するために存在しなければならない規則事ですが、その内容は企業によって優先順位にばらつきがあり、それこそ多種多様です。

ですが、企業によって表現やその内容に対する深みが異なる様々な社則の中で、どこの企業の社則を眺めても一貫して重要視される社則が存在します。

それが安全・健康に関する規則事です。

こちらでは

『会社はどうして安全ルールを備えるの?』

という疑問に目線を置き、専門的な知識を省いた分かり易い説明を記していきます。

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会社はどうして安全ルールを備えるの?

よほど小規模なベンチャー企業でもない限り、多くの企業内では安全に関するルールが設けられている筈です。

例えば両手の指で収まるような全従業員数という企業規模であり、社則マニュアルそのものが今現在存在しなくとも、安全に関してはどこかのタイミングで口にし、そして耳に入れる事でしょう。

どうして会社は何かと『安全』に拘り、『労働災害』から身を遠ざけるのか?

ものずごく単純明快な一言にまとめましょう。

答えはこうです。

 

『困るから。』

 

………。

う~ん、我ながら惚れ惚れしそうな回答ですね。

…決してふざけているわけではありませんよ。

とにかく困るのです。

会社が。

各事業所が。

安全に反した結果、被害を被った自分自身が。

被害が発生した結果、巻き込まれた同僚が。

場合によっては取引先も。

更にはお客さんも。

とにもかくにもあちらこちらで困ってしまうのです。

困ってしまう規模は災害の規模によって異なりますが、仮に会社が平然としていたとしても、あなた自身は確実に困ってしまう事でしょう。

では、安全に関する社則を無視した結果、労働災害が発生したとします。

その上で『労働災害が発生した場合、どうして会社や従業員が困ってしまうのか?』についてを細かく説明していきますね。

目を通せば納得。

でも、安全が保たれている表向き平和な日常下では、けっこう見落としがちな話でもあります。

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安全ルールを無視する事で会社が困ってしまう理由を簡潔に説明

可能な限り、安全ルールを無視する事で会社が困ってしまう理由を簡潔に説明しますね。

会社のイメージが損なわれる

まず第一にコレですね。

発生してしまう労働災害には大小と規模は異なりますが、どういった経緯で労働災害が発生しても、社会的には企業方針に問題があるからこそ労働災害が発生するといった目線で見られてしまいます。

もちろん、会社が意図して安全対策に意欲的ではない場合もありますが、これについては別に機会に説明しますね。

もし、世間的に大きな労働災害が発生し、その事実が外部に漏洩すると、次のような事が起こる事が予想されます。

警察などの立ち入り等で業務が停止する恐れがある

大きな労働災害が発生した場合は法律の介入が発生する事があります。

法律は事業運営よりも優先されるため、場合によっては聴取や現場検証等の必要性が生じ、それが確認できるまでの営業を停止せざるを得ない場合も予想範囲内です。

こうなると最悪の場合、収益の停止どころか損益に繋がる場合も少なくなく、一時的とはいえ経営が傾く事もあるわけです。

……傾くだけで済めばいいですね。

メディア介入で悪印象が世間に漏洩する

テレビでも新聞でも目を通せば、実に毎日、多くの社会問題を目にする事になりますね。

世間の注目を引くようなメディアの介入は多くの社会現象を起こす事も珍しくなく、貼られてしまったレッテルは取り剝がしが困難ですね。

法律とは異なった質問角度を持つメディアの聴取は時に誇張され、または全く見当違いな方向に向かうケースが少なくありません。

ここがシロクロの明確な回答を要求される法律と、個人のイメージする予想見解が通用するメディアの違いと言えるでしょう。

仮に間違えが発覚して新事実を流しても、1度植え付けられた印象を拭うのが難しいのも問題です。

労働災害が発生した場合、会社は必ずこう問われる

世間を騒がすほどの労働災害が発生した場合、会社は必ずこう問われます。

アナタの会社では安全対策を講じていますか?

この回答に対し、多くの…というか、当たり前に従業員を大切に考える会社では必ず

『YES』

と答えたい筈ですが、事実、労働災害を発生させたとなれば、その『YES』の回答が出来なくなってしまうんですね。

理由はどうあれ、実際問題労働災害が発生してしまった。

これが結論だからです。

うるさいほどに安全を叫んでいたとしても、事故が発生してしまえば

あなたの会社は安全に対する意識が足りなかったのでは?

と問われる事となり、どうしても反論出来なくなってしまうのですね。

それが例えば企業全部門中、数万人の中の誰か1人のルール違反の末に発生した問題だったとしても、世間は会社全体を疑うという話なのです。

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安全ルールを無視する事で事業所が困ってしまう理由を簡潔に説明

実際に従事する場所が企業本体の分身となる支店や支所と言った場合、多くの場合は現場側で労働災害が発生するという認識が持たれ易い傾向にあります。

…と言いうのも、実は労働災害の発生比率は事務側も現場側も同じ人間が関わっている以上、そう大差はないのですが、事務系業務が多い現場と肉体系業務が多い現場とでは、同じ怪我でもその度合いが肉体系業務に大きくなることが多く、結果的に

労働災害=現場に多い

といったような錯覚を生むわけですね。

具体的には…

 

事務作業で印刷物の整理中、手袋着用のルールを無視して素手で整理を行っていたら、指を切ってしまった。
→結果、指を切った事に驚いて印刷物散乱。おまけに出血してしまった。

 

現場作業で運搬車両の運転中、左右確認のルールを無視して走行したら、物陰に置かれていた資材に突っ込んでしまった。
→結果、大量の資材損壊。おまけに両手両足の骨を折ってしまった。

 

怪我の度合いとその深刻さを考えれば明らかに後者の方が重大ですが、労働災害という括りで見れば、どちらも『ルール無視』から始まった、些細なミスという事になりますね。

いや、些細なミスというよりは数秒の手抜き・一瞬の手抜きと表現した方が正しいですかね。

不注意ではありません。『手抜き』です。

…なので、労働災害発生としてのカウント数はどちらも『1』となり、他に差はありません。

でも、話題性としてどちらが優先されるかと尋ねられれば、わざわざ説明の必要はないでしょう。

 

では、とある事業所内で重大な労働災害が発生してしまった場合、事業所はどう困るのでしょう?

労働災害の規模によって営業が停止してしまう

実際に発生した大きな労働災害場所が事業所の中であれば、当然ながら現場付近は一時的に封鎖されます。

現場検証を行ったり、救急隊の進路確保、消防車両の同行など、案外立ち入る人数や車両は少なくありません。

こうなると当然ながら操業時間中であっても業務可能範囲が制限されるため、結果的に事業所全体に損害が発生してしまうでしょう。

1つしか存在しない事業所敷地の出入り口での事故発生なんて完全封鎖そのものですから、目も当てられませんね。

一瞬で発生した1つの事故処理の為に長時間の処理が必要となる

事故が発生したならば、その後処理も必要になります。

散乱した備品や資材は最低でも多人数が協力して行う必要があるでしょう。

例えば10分の処理を20人で行っただけでも都合200分の損失ですね。

ルール違反を行う多くの理由は時間短縮ですが、1度のルール違反に稼げる時間はその損失を上回るほどの収益化に繋がるものですかね?

再度、安全対策が必要になる

例え安全ルールに厳しい企業であっても、労働災害が発生したという事は安全管理が甘かったという見解がなされてしまいます。

例えば守ってさえいれば完璧な安全が確約される安全対策が、ルール違反によって破られたとしましょう。

守っていれば完璧です。

守らなかったから、その完璧が崩れたという話です。

屁理屈みたいな話ですが、守る事が出来ない従業員を抱えたばっかりに発生してしまった事故ですが、この事態を安全管理方面は

ルールを守らない事で労働災害に繋がるようなルール作りに問題がある。

…なんて解釈するわけですね。

どれだけ綿密に練られた安全対策であっても、人間が1つズルをすれば危険が生じ、いずれ事故に繋がります。

その度にルールが見直されるわけですが、どんなに優れた安全対策にも限界はあります。

結果、

1つの機械を作動させるために10以上もの安全確認ボタンを押す羽目に。

5分間稼働の製造機械のスタートに20分を要する安全確認。

…なんて事も。

 

 

いちいち面倒に思う安全への手順に覚えはありませんか?

その多くはこれまでのルール破りの蓄積と言えるでしょう。

つまりは働き手が面倒で困る理由というものは、それ以上に各事業所を困らせた軌跡のような存在なのです。

そして厄介なことに、増えたルールが削除される事はほぼありません。

何故なら過去のルール違反で困ってしまった企業や事業所は、同じ経験を繰り返したくないという思いが強いからです。

ついでに面倒な事を言うようですが、確認時間が増えたからと言って、その分の生産量を減らしても良いという話ではありません。

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安全ルールを無視する事で被災者本人が困ってしまう理由を簡潔に説明

続いて安全ルールを無視する事で被災者本人が困ってしまう理由を簡潔に説明します。

たぶん、どんな人物であれ、ココが一番重要ではないでしょうか?

この先に記す良い見本にならない事を願います。

全てにおいて困る事です。

…『困る』という表現が生易しいかも知れません。

良い事なんて何一つありません。

人生を見失う可能性大

路頭に迷うという言葉がありますが、ルール違反によって大きな労働災害を起こした場合・その瞬間は、まさに人生の明暗を振り分ける入り口に入るか入らないかという部分に立った瞬間という事になります。

路頭に迷う、明暗を分ける部分に立った瞬間のその先…。

右に傾くか左に傾くかは運次第。

既に自分自身ではどうにもならない状況である上、運に見放されれば左右どちらに転んでも最悪な結末という事も珍しくありませんが、単純に言って『事故・災害』とはそういう存在です。

この話の場合は『ルールを破る事によって発生する労働災害』ですから、その災厄は自分で好んで招いた結果という結論に至りますね。

 

では、『人生を見失う』とは、どんな内容を指すのでしょうか?

せっかくですので可能な限り残酷に表現します。

なので可能な限りリアルに、柔軟に、多くの角度から想像してみてください。

そして現実に起こっている話という事を知ってください。

その上で、自分自身がそうならないように肝に銘じてください。

 

では行きますよ。

気分…、悪くなりますよ。

思考だけが生き、行動の全てが失われる

個人的に最も残酷だと思う事故後の結末がコレです。

思考は正常なのに、行動の全てが制限される。

または大きく制約が掛かる。

四肢の欠損や不随というものがそれに当てはまります。

昨日まで元気に走り回ってアレコレを手で掴む事が出来た。

でも、事故に見舞われた結果、それが出来なくなった。

…一生。

どうです?

絵空事に思いますか?

毎日のニュースを目にしてください。

メディアは視聴者に不快な思いをさせない意味で言葉をオブラートに包みます。

家族揃って路頭に迷う

独身ならば自分ひとりの犠牲。

そう言い切れますかね?

このご時世です。

自分ひとりでも大変でしょう。

そこに家族が居たとすれば?

人数分だけ困りますね。

転職は可能でしょうか?

五体満足ですか?

転職したところでこれまでの収入は維持できるでしょうか?

あなたの身近な存在に対し、これまでの生活は約束できますか?

育ち盛りの子供の将来はどこに向かう事でしょう?

失明する

ルール違反というものは『知っていてその約束事を破る行為』です。

つまりは『事故に繋がる可能性を理解していているにも拘らず、敢えて実行する』という行為です。

蛮勇なんて言葉が可愛らしく思えますね。

では、『事故に繋がる可能性を理解している』とは、どういった内容を意味するのでしょうか?

自らルール違反を犯すその先には、少なからず危険のリスクの元凶がある筈です。

ルールを犯す人物は、その元凶を知っているからこそ、そこに視線を向け注視します。

ルールを知らない人物は、ルールを知らないからこそ、元凶に目を向ける事がありません。

なので、ルール違反者は、ほぼ必ず、元凶に目を向けます。

本能的に『もしも…』を意識するのでしょうね。

『大丈夫だよな…?』という思いかもしれません。

どのみち高確率で元凶に目を向けます。

…で、運悪く事故に見舞われた場合、体のどの部分が真っ先に被害を受けるでしょうか?

まずは両手や両手指。

これらの被害でも十分過ぎるほど後悔ものですが、まだ救いはあります。

次いで、

『元凶に向けられた両眼』

が被害対象になる可能性大です。

反射神経にモノを言わせ、両眼を閉じる事で防げる事故ならまだしも、重量ある何かが両目に向かってきた場合は?

当たり前の様に世界を眺めた視界が一瞬で消える現実がもたらす感想とは、一体どんなものでしょう?

考えるだけで吐き気がしますね。

悪ふざけで『お先真っ暗』なんて言葉を掛けられたら発狂しそうですよ。

自業自得なんでしょうがね。

絶望フルコース

『生き続ける』とは、ある人生を歩む事になってしまった人にとって、言葉にならない残酷性を秘めていると思います。

生まれつきの不自由なら、ある意味で納得できる場合もあるでしょう。

でも、失った結果に味わう不自由は表現すべき言葉が見付かりません。

 

例えば脳が覚醒した状態の事故後を想像しましょう。

四肢は動きません。

切断されているかもしれません。

視覚も失い、言葉も発せません。

ところが聴覚は生きており、辛うじて皮膚からの感覚も伝わってきます。

どこの誰かも予想がつかない声が届き、なんだか体のあちこちに痛みが走ります。

怪我の痛みかも知れませんし、注射器の針などの痛みかも知れません。

視覚を失ったので見る事が出来ないんですね。

そして身動きが出来ないため、されるがままです。

寝返りすら打てません。

痒い所があっても、そこに向かうべき手が機能しません。

 

時折、誰かの質問が届きます。

間違いなく、自分に向けられた質問です。

しかし声を返す事は出来ません。

自分がどうなってしまったのかは確認出来ずとも、自分の未来に光が無いという漠然とした恐怖は理解できます。

生きていても仕方がない。

そんな思いで頭がいっぱいです。

 

どんな時にも願う内容は『速やかな死の切望』でしょう。

でも、少なくとも日本は生命の維持を最優先するため、医学的に再起不能と判断されても命ある限り生命維持が最優先されます。

少なくとも本人の確認が取れない限り、そうします。

それが個人に対する尊厳という事です。

心臓が動いている限り、無限の希望と可能性があると判断されるのです。法律的に。

ついでに言えば、法律は揺るぎない個人の尊重も無視します。

1つの決まり事で日本全体をまとめるのですから、1人の意見を尊重できないという解釈が正しいでしょう。

仮に医療方向で命に関する法律が緩和され、自らの死を実行させることが可能になっても、最低限の確認要素は必要になりそうですね。

そんな最低限の承諾確認要素は本人の意志と、署名。

これが揃わない限りは関係者全員が絶望の人生と理解していても、生命を停止する権利は与えられない可能性が高いかと。

声を発せず、文字が書けない以上、死を望む本人でさえ願いを伝える事は不可能なのですね。

生命があるならば、生命が続く限り、生命を維持する。

医者の最たる使命感です。

心身疲れ果て、脳が委縮して本能の自殺願望が働いても、医学がそれを阻止します。

そんなこんなの、自由を失った人物にとってはあって欲しくない健全による、終わりの見えない数十年。

どう転んだってバッドエンド。

耐えられますか?

いや、耐えるとか耐えられないとか、そんな選択肢すら用意されていません。

なにせ、自分の思いを一切伝える事が出来ないのですから。

 

 

………という、僕個人が恐怖する絶望のフルコースです。

いやぁ~………、

気分悪い。

切り上げて次行きますね。

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安全ルールを無視する事で同僚たちが困ってしまう理由を簡潔に説明

最後に、あなたがルールを無視した事で起こした労働災害に巻き込まれてしまった人物…。

会社全体や事業所単位ではなく、もっと身近な同僚やその関係者が困ってしまう内容。

それと同時に、どうしようもない現実に立たされて、あなた自身も困ってしまう内容。

そんな一部を伝えして、このページを終わりにしたいと思います。

幾らでも浮かんでくる過去の事実

何かをする上で『間違った』と感じる事は、生きている以上、幾らでも感じる機会がある事でしょう。

ただ、救いは『間違い』なので、後にそれらを修正する事が可能という事です。

無限大ではないものの、反省の色だって汲み取られる事でしょう。

しかし故意の間違い(=ルール違反)によって発生させてしまった事故は、内容によっては一生あなたの仲間や、あなた自身を苦しめる可能性が出てきます。

それが社内の同僚の人生を奪う形であるならば、なおさらの話でしょうね。

ルール違反による労働災害は自分自身が被害を受けるとは限らず、条件によっては自分の近くに存在した周囲に被害をもたらす場合もあります。

この話の中の最悪はと言えば、相手にだけ損失を与えてしまう事かもしれません。

自分だけが無傷

労働災害を引き起こしたのは間違いなく自分自身。

ところが、その被害を被ったのは自分の周りに存在した現場仲間や関係者。

そんな結果を生んでしまった場合、その後の業務をあなたは続行できますか?

一撃数百トンが掠めても、結果かすり傷くらいならば相手も笑って許して売れるかも知れません。

でも、身動きが制限されるような重大な後遺症を残してしまった場合は本心から許してもらえるでしょうか?

すり替わる『生きるための仕事』

仕事は生活をするために行うものですが、違反から招いた会社損失は、時に損害賠償を支払う義務が生まれます。

どれだけ働こうが所得に大差は生まれません。

悪質と取られる事故を誘発した以上、昇進も難しいでしょう。

その前に、会社に留まる事が難しいかも知れません。

会社側があなたを突き放すかもしれませんし、あなたが滞在する事に耐えられないかも知れません。

ですが、自分が招いたとなれば、命じられた支払いには応じなければなりませんね。

せっかくの収入が定期的に削られ、それが長時間継続し、それまでの生活的余裕が失われる。

事故を起こす際のルール違反行為は何度行ったかは分かりません。

ですが、たった1回の災厄がその後の一生を変化させてしまうのです。

叶える事の出来ない願い

ルール違反を行った結果、仲の良かった相手を亡き者にしてしまったとしましょう。

会社内部ではもちろん相棒的存在で、既に家族ぐるみの付き合いもあったとします。

事件が発生してしまう数秒前も、お互い笑って話していました。

事故後、相棒が置き去りにする事になってしまった家族のお子さんにこう言われたとします。

『お父さんはいつ帰ってくるの?』

『パパを返して』

どうやっても叶える事の出来ない願いに、あなたはどう答えますか?

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会社はどうして安全ルールを備えるの? まとめ

どうでしたでしょうか?

簡潔すぎますが、職場における安全へのルール違反は様々な問題を抱え、生み出します。

発生してしまった大きな労働災害の後に感じる事は、思考停止の先にある

『困ったなぁ…』

です。

どんな立場の人であっても、関わる以上は『困る』という状況下に立たされるわけですね。

そんな困ってしまう状況に遭遇しないために安全ルールは存在します。

安全ルールは業務に携わる一個人のみを守るものではありません。

担当者はもちろんですが、そこに携わる人物、その部門全体、部門が寄せ合う事業所全体、各事業所を統括する会社本体、そして、抱える従業員に関連する関係者・家族。

そう考えると異常なほどに壮大なスケールを取り巻くルールとも言えますね。

もちろん、ルールを作る側もルールを守る側も、そこまで大きなスケールで物事は考えていないでしょう。

率直に言えば、『自分自身のみを守るため』とも表現できるでしょう。

でも、結果的には大きなスケールでルールは決められているという事です。

ルールを守るという事が、意図しなくとも『自分を取り巻く全てを守る事に繋がる』と、勝手にそうなってしまうのです。

 

仕事上の安全関係に関してはどうしても暗いイメージの話題が集中してしまいますが、こういった話を知る事で『もしも』と感じてもらえれば伝える意味も深まりますし、あなたがいま行っているかも知れない危険行為に見直しの機会を与えられればと思います。

今備わる体の機能の一部でも失えば、間違いなくその先の人生に苦を植え付けられる事でしょう。

そうならない為にも、安全ルールは守って行動しましょう。

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