ブラック企業はなぜ重大労働災害を赤チン災害と報告するの? すえの考察
何をするにしても怪我は付き物。
遊んでいても、買い物をしていても、ただ歩いていても。
リアルタイムで体を動かす仕事に関してもそれは例外ではなく、色々と危険が伴う現場作業はもちろん、比較的安全とされる事務作業中にも怪我をする可能性はあるものです。
仕事中に発生した事故で怪我などを負う事を労働災害と表現しますが、その表現は幅広く、かすり傷から致命傷までの全てを指します。
もちろん、同じ労働災害発生でもその重大性によっては事業所や会社総出で改善に取り組む事が余儀なくされますが、何故か場所によっては重大事故発生後もその後の音沙汰がなく、当事者だけが痛い思いをして何事もなかったかのように平常が戻ってきてしまうケースもあるようです。
…どうして大きな事故が発生しても、大きな問題とされずに再発防止の策が講じられないのか?
可能性の1つとして、もしかすると重大な事故発生に関して『赤チン災害』という処理を会社側が施しているかも知れません。
では、どうして会社は事の重大さを報告せずに、特に問題なしとされる赤チン災害を口にするのでしょうか?
あまりにも単純にして放って置く事のできない事実を書き並べていきますので、どうぞご一考ください。
それらの文章を眺めてあなた自身の身に覚えがあったり、周囲にそれらしき覚えがある場合は、今後の安全性を高める意味で行動が必要とされるでしょう。
また、それらを読むにあたってこの文を制作した僕に対し、『余計な事を…』と思う場合は、今後のあなた自身に大きな決断が迫り来る可能性が高めなので、今すぐ先陣切って安全対策の改善を行う事をお勧めします。
大きな決断とはどんなものか?
そんな答えは僕は用意しません。
ヒントを出すならば自業自得と言ったところでしょうね。
どうしてブラック企業は重大労働災害を赤チン災害と表現するの?
赤チン災害は何度も言う通り、かすり傷程度の軽微な労働災害を意味します。
ところが一定の企業そのものや事業所単位では、発生してしまった重度の労働災害を赤チン災害として処理するケースが実際にあります。
なぜ、発生してしまった重度の労働災害を赤チン災害と表現するかの理由は、ある意味でシンプルであり、それは報告の義務が生じるからと思われます。
報告するという事は、発生した事実を周囲に知らせるという事ですね。
周囲に知らせる行為の正しい意味には、
- 考え抜かれた安全ルールの中にも危険は必ず存在するものであり、その危険が事故として、今回表面化してしまった
- 誰かが災害に見舞われたという事は、他の誰に同じ事が起きてもおかしくない
- これまでの安全ルールでは安全確保に対して完全ではなかったという事実になった
- もっと安全性を高める何かを考えなければいけなくなった
- 一連の流れを関係者全体が周知し、全体で安全に取り組む再認識が求められる結果となった
…とかなんとか、言い始めればキリがないわけですが、こんな内容を一言にまとめれば、会社そのものやその関係者全体に対して、
今後、気を付けようね。
って事なんですね。
そのために報告の義務というものは存在しますが、報告したからには可能な限り精密な調査が必要になります。
大きな事故発生には現場を一時的に運休・閉鎖するなどをし、それなりの視察・見解・考察と、可能であれば本人の証言・周囲目撃者による事実をまとめ、必要に応じて再現・記録…。
場合によっては即座の是正処置と試行錯誤の改善処置がセットで求められるため、それなりの時間と予算が必要になります。
でも、これらは実は当たり前の事と言え、わざわざ説明なんか受けなくとも漠然と理解できるのではないでしょうか?
でも、そんな中に赤チン災害として事を済ませるケースが確かに存在する…。
これって何故??
重大な労働災害が発生した場合、それを赤チン災害として取り扱う大きな理由。
それはきっと、
怒られるから
面倒だから
という2つに集約されると思います。
どうして労働災害発生時、当事者や監督者は怒られる?
まずは虚位の報告をする目的が『叱られ回避』という理由から説明します。
僕が以前から不思議に思う部分です。
事故はあらゆる行動に付き物です。
労働災害…というよりも、事故そのものがいつ発生してもおかしくない事象でして、それこそ本人すら思い浮かべる事のない結末ではないでしょうか?
ブラック体質を持つ企業の場合、多くの場合が労働災害発生後にこんな流れを自然と組みます。
- 労働災害発生。A氏大怪我を負う
- 本人または周辺関係者が事実報告を行う
- 現場監督者、労働災害発生確認。現場作業停止、A氏の安否確認と共に当時の状況確認
- 事故の発生内容によってはA氏を叱り、周囲関係者も叱った後に上層部に報告
- 上層部は報告してきた現場責任者を叱り、更に上層部に報告
- 更なる上層部は下位の上層部にり、更に更なる上層部に報告
- 更に更なる上層部は………
とまあ、なんだか叱る事が安全の第一歩のような錯覚さえ感じる『叱咤連鎖』が発生するのですね。
被災者が実際に安全ルールを無視した末に事故を発生させたのであれば、いずれ叱咤されるのは当然と言えるでしょうが、いずれにしても順番がおかしな事になっていますね。
付け加えれば、こうした労働災害に対して『叱る』という行為をする企業は面倒事を後回しにするケースが往々にしてあります。
この場合の面倒事はと言えば、安全対策の再構築、予算編成、改善のための期日など、やるべき事はたくさんありますが、だいたいは予算都合やヒマな時期を見計らって…と言うような『逃げ』の姿勢を取るのが特徴的です。
その理由は簡単。
とにかく叱る事で人を動かす会社なのですから、もともと予定に無かった安全対策会議の時間の都合にしても、余分と感じる予算にしても、いちいち報告する度に『叱られる』と先に考えるため、行動すべき人物の足が前に進まなくなるんですね。
なので、大きな事故発生を赤チン災害と偽り、軽度のお叱りを受けた後に陰でいそいそと隠蔽に走り出すワケです。
ただ、こうした流れを長く保持してしまうと、いずれ回避不能な重大事故が発生してしまった際に、色々と悪い部分が浮き彫りになってしまいます。
当然、口に出さないだけで、危険を放置する監督者や会社に対して良い思いを抱く人物は存在しないでしょう。
大きな事故発生後にメディアに取り上げられる際、日頃の鬱憤を晴らすような物言いをする関係者を目にする事がありますが、まさしくそんな言葉が世間に漏洩してしまい、企業存続が危うい状態に追い込まれるのです。
労働災害の発生時には、『叱る』のではなく、いち早い報告を褒め、余計な言葉を挟まない即座の対応がベストかと思われます。
また、怪我を負った人物が安全ルールーを守っていたならば、安全ルールの中の弱点を身をもって知らせた事にもなります。
褒めるという表現がこの場合正しいかどうかは分かりませんが、有難みをもって接したいものですね。
ホワイト企業なら報告後にこんな感じに行動します
ホワイト企業に限った話ではありませんが、従業員を大切に扱う企業はだいたいこうします。
- 労働災害発生の情報が持ち上がる
- 労働災害発生現場のリーダー格が現場に駆け付ける
- 次いで事業所責任者が駆けつける
- 次いで近隣事業所の責任者格が各リーダーを引き連れて駆け付ける
- みんなで災害現場を確認し、今後の安全策を講じる(雑談程度)
まあ、これはこれで言い挙げればキリがないのですが、大体こんな感じですね。
この中で最も重要な部分は、雑談程度に安全策を講じるという部分です。
事故を軽視しているわけではありません。
常日頃から安全に対して注意を払っているため、実際に事故が発生した際にアレコレと話題が持ち上がるというワケです。
そんな話題を被災者含め、まるで雑談のような流れで会話を繋げる事で、その場凌ぎではない、実際に必要な安全策を見出す事が出来るというワケですね。
なので、双方に安全に対する欠陥があったという事を認識するため、『叱る』という思いは出て来ないという道理です。
むしろ労働災害被災者には心配の念を、担当責任者にも労いの言葉が出て当然と言えるでしょう。
どうして労働災害発生時、当事者や監督者は報告を面倒がる?
重篤な労働災害を赤チン災害と言い換える理由にもう1つの理由があります。
それが、『面倒』という思いです。
職場で働く人間としてどうかという話ですが、これが実に多く、その面倒を重ねる会社ほど重篤な労働災害に見舞われます。
では、何が面倒なのか?
単刀直入に『報告が面倒』という事です。
例えば発生した労働災害が重篤な人身事故となってしまい、血まみれの意識もうろう、ただし、明らかに力強い呼吸をしており、素人判断ではその呼吸がどこまで続くか分からないものの、いま行動を起こせば確実に救急車両などの手配が出来る。
こんな場合は『面倒』という感情が吹き飛ぶ緊急事態なので、個人の考えでは的確な判断に至らずとも、切羽詰まったままに慌てて周囲に異常を知らせる事が出来ます。
…知らせる、というよりも、それを目撃した自分が助けて欲しいという感情になるのでしょう。
だから声が出ます。
場合によっては報告無視で119なんて事もあるでしょう。
そして行動を起こせば必然的に報告に繋がります。
しかし、同じような状況下の被害者の意識がはっきりしており、
『いやぁ、痛かった。でも大丈夫。見た目ほどじゃないから』
なんて言われればどうでしょう?
流血で全身が染まっているけど本人は元気っぽい。
声もはっきりしていて、目撃者に対して『ゴメンゴメン』なんて言っていた。
そして今は洗面器で血を洗い流してい……あら? もう出てきた。
仕事の続きを始めちゃった…。
こんな場合、被災者本人が自ら異常なしと判断しているわけですが、これってどうでしょう?
身をもって事故に遭遇した場合、自分でも考える事のない今後の不具合を招く事が往々にしてあります。
その一方で、見る側も気掛かりで仕方がないという場合もあるでしょう。
ただ、報告という義務をそのまま実行すると、当然ながら質疑応答が当事者と管理者に向けられるわけで、事故当時の状況整理・事故発生の重大さ等を周知させる作業が加わります。
その間、穴の開いてしまった現場に補充員が充てられる事はケースバイケースであり、人員削減が当たり前となった現状の日本では、補充は絶望的という場合が多いと思われます。
つまり、1つの労働災害発生によって、多重の『面倒事』が発生するというわけですね。
面倒ごとの回避は意外と簡単。
- 被災者当人が気にしない
- 現場責任者が気にしない
この2点だけです。
ブラック企業ならば、被災者本人に叱咤する場合もあるでしょう。
『お前が注意しないから怪我をするんだ。自己責任だ』
と。
理不尽な責任逃れではありますが、これこそブラックと表現される最大の理由とも言えるでしょう。
自分さえ良ければそれで良い。
身勝手を最大限に晒す瞬間であり、その反面、周囲関係者は同等の嫌悪感に浸される事になります。
余談ですが、事故発生後にケロッとした被災者は少なくないというのが僕の感想ではありますが、これも処理が『面倒』という現れなのでしょう。
しかし、その当時は行動に違和感がなくとも、後に後遺症となって一生引きずる羽目になる被災もたくさんあります。
その場で無かった事として処理してしまえば、後に後遺症に気付いても後の祭りとなってしまいますので、些細な怪我でも然るべき処置を施す事をお勧めします。
ホワイト企業ならこんな感じに考えます
労働災害が発生した。
という事は、必ずその原因があります。
そして1度労働災害が発生した場所では、同様の労働災害が発生すると確信付きます。
そして類似した作業現場でも同様の事故が発生すると考えます。
何故なら、労働災害の発生源は常に人の手が加わる部分に存在するものであり、毎日のように誰かしらがその場を行き来するわけですからね。
A・B・C・D・Eという5人チームの中で、仮にAさんが今回の労働災害に遭ったという事は、残るB・C・D・Eさんの誰が同様の事故に見舞われたとしても何ら不思議はないという話です。
研修生などの慣れない人物がその場に居合わせれば、危険遭遇度はさらに上昇する事でしょう。
だからこそ、ホワイト企業は報告を何よりも重視し、同じ事故を再び発生させない努力に勤しむわけですね。
1度発生してしまった労働災害を仕方がないで片付けられませんが、せめて2回目は未然に防ぐ。
そんな意気込みです。
しかし、そんな意気込みも報告なしでは知る事が出来ず、その後の行動に移る事が出来ません。
ブラックと表現される現場での事故の多くが重大事故という見出しから始まる最大の理由は、小さな労働災害の発生を『面倒』という理由で無視する事を重ねるからとも言えます。
ゴキブリ換算ではありませんが、1度の大きな労働災害発生までには30回前後の小さな労働災害を含めたヒヤリハット(HHK)が発生した結果、起こる場合が大半と言われます。
人は判らない物事に対してイキナリ大胆には行動できませんね。
なので、大きな問題に発展しそうな出来事と認知していても、大胆な行動を取らない限り、大きな災害には繋がり難い…。
これが、いちいち報告するまでもない軽微な労働災害やヒヤリハットの正体となります。
そしてブラック企業は面倒な報告をわざわざせず、無かった事とします。
ですが、残念ながら人には慣れが生じるものであり、慣れれば慣れるほどに物事を簡略化し、スピード性を重視します。
これが大きな労働災害の最大の発生源となり、いざ労働災害が発生してしまった際に過去の怠慢が一気に噴出する原因にもなるのですね。
極論すれば、小さな事故の小さな是正を積み重ねを渋った代償として、表向きにはイキナリ大きな災害が発生したという流れです。
ホワイト企業は些細なヒヤリハットにも正面から向き合う性質があるため、認知されながらも持ち上がらなかったヒヤリハットに対して敏感に察知し、なぜ無報告なのかを問われます。
これはこれで面倒という言葉が浮き出る瞬間ではありますが、何よりも安全性を高める意味で行う行為なので、そこを理解できなければ到底ホワイトに寄る事なんて出来ない話なのですね。
ブラック企業はなぜ重大労働災害を赤チン災害と報告するの? まとめ
報告の義務という言葉はどの世界でも耳にする言葉ですが、人によってその義務の扱いに困るケースもあるかと思われます。
- この程度ならわざわざ言う必要が無いかな?
- どの程度から言うべきだろう?
そんな事を考えた事はありませんか?
結論からすれば、気になった事なら全て口にしても良いと考えています。
安全に関する事なら尚更ですね。
労働災害の源となるヒヤリハットキガカリ(HHK)とは、実際に労働災害が発生したわけではないが、場合によっては労働災害に繋がる可能性がある物事の報告を指すものです。
例えばその危険性が天文学的な僅かな確率であっても、パーセンテージが0でない限り、可能性はあるというものです。
付け加えるならば、誰かがそう思った危険性とは、人ひとりがポンと考え付く危険性でもあります。
つまり、耳にしなくとも多くの関係者がどこかのタイミングで同じ事を考える瞬間があって当然と言えるでしょうね。
そういった思い付き同然の話であっても報告する事が安全性の確立に向けての第一歩であり、これを無視し続ければいずれ自分を含めた誰かが災害に見舞われるという話にも繋がっていきます。
実際に労働災害が発生してしまった時の報告は確かに色々と面倒でしょうが、今後をよくする意味では避けて通れない仕事の1つです。
黙っていてバレてから謝り、予想外の損害を被る未来を待つのは心身共に疲れる筈ですので、そうならないためにも発生してしまった労働災害は些細な出来事でも報告する事をお勧めしますよ。
また、労働災害発生前のヒヤリハットキガカリの段階であれば、神妙な顔つきをするまでもなく雑談程度で『もしも』を話す事が出来ます。
この場合は雑談なのですから、面倒という印象は出てきませんね。
直接安全に携わる身でなくとも、その『もしも』を発信する事で、ホワイト企業ならば労働災害未然防止という意味で前向きに動いてくれるでしょう。
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