死を招く会社に赴く理由
これまでの転職回数両手両足の指では収まらず…。
そんな転職だらけのすえです。こんにちは。
ここでは僕の持論…ではありませんが、転職の効果的な活用法と転職する意味についてをお話したいと思います。
というのも、日本という国は自殺者が非常に多い事で有名であり、その多くは社会人…つまり、『働く人』に多いと言われていますね。
まあ、言ってみれば学生時代はどんなに頑張って引き延ばしても20歳そこそこであって社会人ともなれば以後40年以上の時間を仕事に費やすため、
単純に計算しても社会人に自殺者が多い事は判らなくもないのですが、それにしても多いという事実は変わらないようです。
社会人という立場の自殺者の主な理由は金銭絡みの内容も多いようですが、個人的によく耳にする理由としては
- 社内のいじめ
- ブラック企業での従事による疲れ
などの2点をよく耳にしますね。
…で、僕個人の意見なのですが、そういった環境の中に疲れの限界を迎え、この世を去る考えに至る人の考えがさっぱり理解できません。
いや、もの凄く失礼な表現であり、ある種の冒涜とも言える表現である事も理解していますが、
『どうして死を招いてまでその職場に固執した?』
というのが僕の個人的な疑問であり回答です。
その一方で、実は僕自身も何度だって職場の関係で自殺を考えた人格の持ち主です。
そんな人物が何を言う?
なんて思われても仕方がない話ですが、結果的にのうのうと生き抜いた結果、
裕福ではなくとも充実した毎日は訪れているようです。
そして裕福ではない現実である事は否定しませんが、これまでの転職による特定の会社で長期間働き続ければ、それなりの裕福を手にした可能性も高かった事が何となく理解できます。
チャンスは至る所に存在するという話はよく聞きますが、まさにその通りであり、そのチャンスをきちんと手にするかどうかは最終的に自分自身という話なんですね。
そして僕の場合は人生最大の好機を自ら逃した気もしますが、その好機とは別の好機を手にする事で今現在を歩んでいると言うわけですね。
今現在の職場に不満を覚え、耐えて耐えて耐えた結果、転職を考えたあなたはきっと正解の選択をしている事でしょう。
あとは行動に移すか移さないかで未来はあっけなく変化するものだと確信します。
死への距離感が近いと感じるならば、さっさと転職を選ぶのが吉
このサイトでお知らせしたい『働くを考える』という意味で伝えるとするなら、
自分にとって不満が多い会社と認識するのであれば、その会社は離れるべき
という事ですね。
人生を歩むためにある程度の忍耐や我慢は必要かもしれませんが、過度な忍耐や我慢は不要です。
悩んだり悲しんだり倒れてまで仕事をするくらいならば、それはもはや仕事とは表現できず『奴隷』といった立場と僕は考えます。
それ以前に職場という存在は誰にとっても『生活を維持する為に必要なお金を得る場』なのですから、
毎日のように押し寄せる肉体的苦痛・精神的苦痛に耐えるばかりでは身が持たないという話でもあります。
誰にでも当てはまる『人生』を簡単に言うのであれば、仕事をするために生まれてきたのではなく、
生活を続けるために仕事をせざるを得ない
という話です。
毎日の生活の安泰・安定が本来誰もが求めるべき理想の人生であり、絶望的状況下で仕事を続ける毎日にどんな明るい未来があるというのか?
…という話なんですね。
ところが、僕のような転職だらけの人生の目線でモノを言わせてもらった場合、どんな職場にも絶望的人生を歩みそうな人という存在は目に付くものであり、
どうしてそんな思いをしてまで仕事を続けるのかが不思議にしか感じられない人が少なくなく、
実際そんな人は長年従事していながらも自分の存在を否定するようにして今を生きています。
そんな人生のどこが楽しいのかがまったくもって疑問ですが、毎日が苦痛である事には間違いない事でしょう。
転職への判断素材
あなたはいったいどんな立場で現在の職場に身を置きますか?
仕事の向き不向きにより天職と感じていたり人からのウケが良く毎日が楽しいというのであれば、どうぞその会社での活動を続けてください。
辞めればきっと後悔に満たされる事でしょう。
でも、そうではなく苦痛の毎日と感じるならば、早期に離職を決断した方がよろしいかと。
苦痛は大きく精神面と肉体面の2つに分類されますが、どちらかがダメージを受ければやがてもう片方もダメージを受ける事になります。
そして強調して言わせてもらうのであれば、『苦痛』を感じている時点でその職場に疑問を感じている証拠でもあるかと思いますよ。
怖がらせる話ではありませんが、精神面と肉体面の両方のダメージが深刻化した場合、本能的ストップ機能がある場合は倒れる事で拒絶反応を示し、本能的ストップ機能が無い場合は人格そのものが狂い始めます。
僕は医者でも何でもありませんので正確な事は何も言えませんが、精神面にしろ肉体面にしろ過度なダメージを受けた結果、上記のような現実に苛まされた人を何度も見てきましたので、少なくともその後の良くない人生が待ち構えている事だけは間違いないと言い切れます。
『耐えれば明日には光が見える』…?
いや、そんな事はありません。多くの場合は朽ち果てるまで使い回されるのがオチです。
この話のまとめ
苦痛を覚える職場で耐えて光を見る事はないと言い切ったわけですが、当然ながら100%でそうなるとは断言しません。
耐えた結果、きちんと光を目にする人は存在する事でしょうし、その後に安泰が約束された人も居る筈です。
しかしそれは確率的に非常に小さく、期待するほど自分の身に転機が訪れるかと言えば、確実性はそれこそ皆無に近い事でしょう。
そして最大の問題は可能性を信じて結果的に変化が無かった場合…。
その事に気付く頃にはきっと年齢的にも転職そのものが難しくなっている筈であり、仮に転職が叶ったとしても、体が追い付かなくなってしまうという事態にもなりかねません。
一足跳びでの早期判断も考えものではありますが、それでも決断は早いに越した事はありません。
くどく言い放つようですが、今現在の職場に大きな苦痛を感じるのであれば、そこはあなたにとって良い未来を切り開くにはあまりにも過酷な道のりとなる可能性が高いため、倒れたり狂う前にその場を離れる事をお勧めします。
長く続けられる条件に見合う内容とは、働く本人の居心地が良く感じられる空間であるか、妥協する事が肉体的にも精神的にもダメージを受けない範疇である事が大前提だと僕は考えています。
そして冒頭の話を繰り返しますが、そういった苦痛の果てに判断するのが人生の逃亡。
つまりは蓄積したストレスが自殺願望を育てるという事もあり得る話であり、実際に多くの人が会社で働く苦痛を理由に世を去っています。
僕に言わせればなんとも視野の狭い話という反応に尽きますが、窮地に追い込まれた人とはそのくらいに視野が狭まるという話でもあります。
結論として僕が断言できる事は、死を招く会社に赴く理由は無いという事ですね。
そしてその原因は精神的苦痛や肉体的苦痛の連続から始まるという事です。
お世話になった会社の全てでそうした苦痛を味わったわけではありませんが、少なくとも僕はそういった境遇と感じた会社をさっさと離れる事で今現在を手中に収めた事だけは確かです。
そして同じような境遇を無理に乗り越えようとして、人として朽ち果ててしまった同僚の姿も少なからず目撃してきた人生です。
幸いは仕事の苦痛の果てに自殺した同僚が存在しない事ではありますが、
自分の人格を失ってまで働き抜く同僚に幸せが訪れるのか…?
と、考えると、それはそれで疑問でしかありません。
転職は確実な成功の鍵とは言いませんが、むやみやたらに蝕む現在の苦痛から逃れる手っ取り早い手段という事は間違いないでしょう。
すえ